今回は、音楽会のスター長渕剛さんの父親について深掘りしていきたいと思います。
日本のロックシーンを代表するアーティスト、長渕剛さん。
そんな誰もが知る長渕剛さんの父親がどんな人か気になりませんか?
長渕剛の父親の名前は長渕邦治!職業は警察官
剛さんとお父さん#長渕剛 #鶴になった父ちゃん pic.twitter.com/IFuWwF4cbJ
— BAR とんぼ 「Ryukyu剛会」 (@xxTonboxx) March 17, 2018
- 名前:長渕 邦治(ながぶち くにはる)
- 出身地:鹿児島県
- 職業:警察官
長渕剛さんのお父さん、長渕邦治さんは、とても厳しくて正義感が強い人でした。
邦治さんは、小さい頃から警察官になる夢を持っていて、その目標のために柔道を習い、自分をしっかりと鍛えたのです。
十代の後半には、故郷の種子島を離れて本土へ行き、鹿屋警察署の機動隊に入隊しました。
その後、邦治さんは鹿児島県警に属し、特に組織犯罪を取り締まる「マル暴」と呼ばれる部署で活躍したのです。
父は警察官を夢見て柔道を学び心身を鍛え上げ、十代後半で種子島から船で本土に出てきて、鹿屋(かのや)警察署の機動隊に入隊。その後鹿児島県警のマル暴(刑事部捜査第四か)として組織犯罪の取り締まりを扱っていた。
【引用元:到知出版社】
ただ、長渕剛さんの家庭は、いつも平穏というわけではありませんでした。
家計が苦しい状況が原因で、長渕剛さんの両親はよく言い争いをしていたようです。
長渕剛さんは、お父さんが時々お母さんに対して暴力を振るう場面を見てしまったこともあるみたいですね。
長渕剛の父親は昇格試験に何度も落ち続けた!
長渕剛さんのお父さんは、警察官の仕事をしていましたが、学歴が足りないために昇進試験に何度も落ちてしまい、出世するのが難しい状況だったようです。
この経験から、お父さんは長渕剛さんにもしっかりとした学歴を持つことの大切さを教え、大学に進学するよう強く勧めたのです。
その結果、長渕剛さんは九州産業大学に進学することとなります。
しかし、大学在学中に音楽で大きな成功を収めた長渕剛さんが大学を中退しようとした時、お父さんは猛反対しました。
大学に進学せずに音楽の道に進むことに対して、お父さんは自身の経験から学歴の重要性を知っていたので、とても心配していたのです。
その心配があまりに強く、反対の気持ちを示すために手が出てしまったというエピソードもあります。
2006年に病気のため逝去!長渕剛の曲にも影響を与えた
長渕剛のお父様、邦治さんは2006年に77歳でこの世を去りました。
原因は原発不明がんという病気でした。
長渕邦治氏(ながぶち・くにはる=歌手長渕剛氏の父)23日死去、77歳。鹿児島県出身。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は長男剛(つよし)氏。
【引用元:四国新聞社】
その数か月後、長渕剛は「親父の生きた航跡を旅してみたくなった」と語り、父親が種子島から鹿児島に出て来た後の足跡を辿る旅に出ました。
この深い家族愛を感じさせる旅は、長渕剛が2007年にリリースしたアルバム『Come on Stand up!』にも影響を与えています。
このアルバムは、長渕剛が父親への敬愛の念を音楽を通じて表現した作品となっています。
長渕剛さんは、「日本に生まれた」という曲の歌詞で、父親についても触れています。
親父が生きていたころしあわせの涙を
一生けんめいに流してた
むしり取られた正直さをとりもどすそのために
愚痴もこぼさず一晩中働き続けた・・・(一部抜粋)長渕剛/日本に生まれた 作詞・作曲:長渕剛
まとめ
長渕邦治さんの特徴・経歴 | 長渕邦治さんと長渕剛の関係 |
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厳格で正義感あふれる警察官として知られていた。 | 長渕剛に対し、学歴の重要性を強調して大学進学を推奨。 |
柔道を学び、警察官としての心身を鍛え上げた。 | 長渕剛が音楽の道を志す際には、それに強く反対。 |
種子島を離れ、鹿児島県警でマル暴に所属し組織犯罪を取り締まった。 | 家庭内では時に厳しすぎる態度が問題となることも。 |
学歴が足りないとされ、昇格試験に何度も不合格となる。 | 長渕剛への教育方針が、自らのキャリアの挫折から影響を受けていた。 |
2006年、原発不明がんで亡くなる。 | 父の死後、長渕剛がその生き様を辿る旅に出てアルバムに影響を受ける。 |